写真は、そこにあったものを写すと信じられてきました。だからこそ人は写真に幽霊を探し、死んだ家族を生きているように撮り、ありもしないものを写して人を驚かせました。やがて写真家たちは、ぶれや粗い粒子やピンぼけで、見えるものの奥にある不安や欲望を焼きつけようとします。ここでは、写真の発明から、異端の写真家たち、奇妙なカメラと撮り方までを集めました。
写真家の活動年は主なものを記しています。
74語
写真の発明と幽霊
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暗い部屋の壁の小さな穴から入った光が、反対側の壁に外の景色を逆さまに映し出す仕組み。「暗い部屋」という意味で、カメラの語源になった。画家たちが写生の道具にも使った。
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ダゲールが発表した、銀メッキした銅板に像を焼きつける最初の実用的な写真術。一枚きりで複製ができず、鏡のような板面に角度によって像が浮かび上がる。
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ネガから何枚でもプリントを作れる「カロタイプ」を発明した人物。写真を複製できるものにし、最初の写真集『自然の鉛筆』を出した。
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ボードレールやサラ・ベルナールの肖像を撮った写真家。気球に乗ってパリを上空から撮り、パリの地下墓地を人工の光で撮影した。彼のスタジオは第一回印象派展の会場になった。
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並べた何台ものカメラで走る馬を撮り、四本の脚が同時に地面を離れる瞬間があることを示した。人や動物の動きを分解した連続写真は、映画の源流になった。妻の愛人を射殺し、無罪になった過去を持つ。
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鳥の飛ぶ姿を撮るために銃の形のカメラ「写真銃」を作った生理学者。一枚の画面に動きを重ねて写す写真は、未来派の画家たちに影響を与えた。
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写るはずのない霊の姿が写ったとされる写真。多くは二重露光やレンズの光のいたずらだが、写真という新しい技術が「目に見えないもの」を写すと信じた人々の願いを映している。
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最初の心霊写真家。亡くなった家族の霊が肩に寄り添う肖像を撮って売り、リンカーン大統領の未亡人も撮影された。詐欺の罪で裁判になったが、無罪となった。
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霊媒の口や鼻から白い霊の物質が流れ出す様子を写した写真。のちに、多くがガーゼや紙を吐き出して見せたものと分かった。
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心に思い浮かべた像を、念じるだけで写真の乾板に写すとされた力。東京帝大の心理学者・福来友吉が実験し、学界を追われるきっかけになった。
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千里眼や念写を研究した心理学者。「千里眼事件」で公開実験に失敗し、大学を去った。その後も研究を続け、高野山の近くに研究所を開いた。小説『リング』に登場する超能力研究者のモデルともいわれる。
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福来友吉が実験した念写能力者。まだ誰も見たことのない月の裏側を念写したとされる写真を残した。
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亡くなった人を、生きているかのように椅子に座らせたり、家族と並べたりして撮った写真。写真が高価だった時代、それが故人の唯一の写真になることもあった。
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殺された人の目の網膜には、最後に見た犯人の顔が焼きついている、という説。実際に遺体の目を撮影して犯人を探そうとした警察まであった。
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粛清された政治家や役人が、記念写真から一人ずつ修整で消されていった。人がいなくなった場所に不自然な壁や空が残り、写真が「事実」でないことを示す例になった。
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写真術の発明者の一人イポリット・バヤールが、ダゲールばかりが称えられることに抗議して、溺れ死んだ自分を演じて撮った写真。写真がはじめから嘘をつけることを示した、最初の演出写真といわれる。
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フィラデルフィアのランプ職人が、店の裏で自分自身を撮ったダゲレオタイプ。乱れた髪で腕を組む姿は、現存する最古の自撮りとされる。
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X線を発見したレントゲンが撮った、妻の手の骨と指輪が写った写真。見た夫人は「自分の死を見た」と言ったと伝えられる。世界中に衝撃を与え、見世物にもなった。
寺山修司とカメラ
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寺山修司は、演じる人を集めて古びた記念写真のような「嘘の古写真」を撮った。セピア色の画面の中で、身元の知れない家族や花嫁や見世物の芸人がこちらを見つめる。写真は記録ではなく、記憶を捏造する装置だという寺山の考えがよく表れている。
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寺山修司の「幻想写真館」の写真集。架空の一族の古いアルバムのように作られた。
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寺山の作品には、写真館で撮った家族写真がたびたび登場する。家族もまた演じられた役にすぎない、という考えが、映画や演劇や写真に共通して流れている。
日本の写真の反逆者たち
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「絶対非演出の絶対スナップ」を唱えたリアリズム写真の旗手。炭鉱の町の子どもたちを撮った『筑豊のこどもたち』と、仏像や寺を大判で撮った『古寺巡礼』という、まったく別の顔を持つ。
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長崎の被爆者、沖縄、アメリカの基地の町を撮り続けた写真家。記録と表現のあいだに立ち、後に続く写真家たちに大きな影響を与えた。
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三島由紀夫を被写体にした『薔薇刑』、舞踏家・土方巽を秋田の田んぼに放った『鎌鼬』など、人を演じさせて撮る写真で知られる。
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土方巽が秋田の農村に現れ、赤ん坊をさらって畦道を駆ける。細江英公が撮った、実在の村人を巻き込んだ即興の劇のような写真集。
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裸の三島由紀夫を、薔薇やホースで縛ったり、バロックの絵画と重ねたりして撮った写真集。杉浦康平らが装丁を手がけた版もある。
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軍艦島と桜島の人々を撮った『人間の土地』、トラピスト修道院と女子刑務所を撮った『王国』で知られる。閉ざされた世界に生きる人々を見つめた。
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原爆ドームの壁のしみ、特攻隊員の遺影、捨てられた日章旗などを撮った写真集『地図』(1965年)で知られる。観音開きの頁を持つ本そのものが作品になっている。
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中平卓馬、多木浩二、高梨豊、岡田隆彦らが作った写真の同人誌。三号で終わったが、粗い粒子とぶれとピンぼけの写真で、写真の言葉を根こそぎ揺さぶった。
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粒子の荒れ、手ぶれ、ピンぼけ。それまで失敗とされたものを、そのまま表現にした写真のスタイル。プロヴォークの写真家たちの代名詞になった。
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プロヴォークの中心人物で、鋭い写真論を書いた。自分の過去の作品を燃やし、急性アルコール中毒で記憶の多くを失ったのち、植物や猫を正面から撮る静かな写真に移った。
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粗く黒い路上のスナップで知られる写真家。振り返る一匹の野良犬を撮った「三沢の犬」は、彼の分身のように語られる。新宿の街を撮り続けている。
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妻との新婚旅行を撮った『センチメンタルな旅』で私写真を宣言した写真家。東京の町と女性と花と空を撮り続けた。モデルの扱いをめぐって批判も受けている。
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妻との別れのあと、故郷の北海道へ向かう列車の窓から見た鴉を撮り続けた写真集『鴉』で知られる。晩年は事故で倒れ、長く撮影ができないまま亡くなった。
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幼いころの病で体に障害を負いながら、郊外の子どもたちや家族を静かに撮った写真家。『SELF AND OTHERS』に並ぶ人々は、ただ立ってこちらを見返している。36歳で亡くなった。
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鳥取の砂丘に家族を並べ、オブジェのように配置して撮った写真家。生涯地元を離れず、どこかとぼけた不思議な構図は海外で「ウエダ調」と呼ばれた。
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寺山修司の天井桟敷で専属の写真家を務めたのち、日本の祭りや町の片隅を撮った『風姿花伝』で知られる。日常のなかにふと現れる異界を正方形の画面に閉じ込めた。
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育った横須賀の町、四十歳の同い年の女性たちの手足、亡き母の遺品を撮った写真家。広島の被爆者の遺品を撮った『ひろしま』は、服の柄の美しさで死者を語る。
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世界の海の水平線を同じ構図で撮った「海景」、映画一本分の長時間露光で真っ白なスクリーンを撮った「劇場」で知られる。蝋人形館や博物館のジオラマも本物のように撮った。
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小型のライカを手に、東京の下町や秋田の農村の人々を軽やかに撮ったスナップの名手。土門拳と並び称され、その名は新人写真家の賞に残る。
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イギリスの森で少女をアリスに見立てて撮った写真集『少女アリス』(1973年)で知られる。女性を幻想のなかに置く写真を撮り続けた。
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成田空港の建設に反対する三里塚の農民たちの闘争を内側から撮り、のちに消えゆく村の暮らしを撮った『村へ』で知られる。
海の向こうの異端の写真家
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消えていく古いパリの町並みや店先を、画家の資料として撮り続けた写真家。人のいない早朝の通りやマネキンの並ぶショーウィンドウを、シュルレアリストたちが発見した。
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夜のパリの娼婦、ならず者、霧の街灯、落書きを撮った写真家。写真集『夜のパリ』で知られる。
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警察無線を傍受して事件現場に真っ先に駆けつけ、殺人や火事や見物人をフラッシュで撮った報道写真家。車のトランクを暗室にしていた。
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農民、職人、芸術家、失業者まで、ドイツのあらゆる職業と階層の人々を正面から撮って『二十世紀の人間たち』にまとめようとした。ナチス時代に写真集は廃棄された。
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双子の少女、巨人とその両親、ヌーディスト、見世物の芸人など、社会の周縁の人々を正方形の画面で正面から撮った。48歳で自ら命を絶った。
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花と肉体と、ゲイのSMの世界を、同じ冷たく完璧な光で撮った写真家。死後の回顧展が「わいせつ」として政治問題になった。
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友人や恋人たちの性、薬物、暴力、エイズで失われていく日々を撮ったスライドショー『性的依存のバラード』で知られる。のちに鎮痛剤の薬害を訴える運動を率いた。
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死体、身体の欠損した人、奇妙な衣装の人物を、バロック絵画のような構図で撮った写真家。傷をつけたネガから焼く、古い写真のような画面が特徴。
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シカゴで乳母として働きながら、誰にも見せずに十数万枚の路上の写真を撮っていた女性。死の直前、競売で買われたネガの箱から見つかり、世界的に知られた。
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廃屋の中でぶれて消えかかる自分の裸身を撮った写真家。22歳で亡くなり、残された数百枚が死後に評価された。
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坊主頭、男装、人形のような化粧で、性別の定まらない自分を撮り続けたシュルレアリストの写真家。ナチス占領下のジャージー島で抵抗運動を行い、死刑判決を受けた。
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故郷オクラホマの仲間たちが麻薬を打ち、銃をもてあそぶ日々を内側から撮った写真集『タルサ』で知られる。のちに映画『KIDS』を監督した。
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中古車でアメリカを旅して撮った写真集『アメリカンズ』(1958年)で、傾いた構図と暗い画面にアメリカの孤独を映した。序文はジャック・ケルアックが書いた。
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7歳でカメラをもらい、家族が空を飛び、跳ね、自動車で疾走する様子を撮った少年。60年以上たって写真が発見され、大写真家として迎えられた。
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雑誌の写真を切り貼りしたフォトモンタージュで、ワイマール時代の社会と女性を風刺したダダの作家。ナチス時代は郊外にこもって作品を守った。
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自分自身が化粧と衣装でさまざまな女性に扮し、ありもしない映画の一場面のような写真を撮り続ける作家。写真の中の「女性らしさ」が作り物であることを示した。
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ヴァージニアの農場で、自分の三人の子どもたちが遊び、傷つき、眠る姿を大判カメラで撮った写真集『イミディエイト・ファミリー』で知られる。古い湿板写真の技法も使う。
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ニューヨークの芸術家や友人たち、動物、夜の廃埠頭を、静かなモノクロームで撮った写真家。死の床に横たわる人の肖像も多い。エイズで亡くなった。
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アメリカ南部の何でもない三輪車や冷蔵庫や赤い天井を、鮮やかなカラーで撮った写真家。1976年の個展は「最悪の展覧会」と酷評されたが、カラー写真を芸術にした。
奇妙なカメラと写し方
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レンズを使わず、針で開けた小さな穴から光を取り込む箱のカメラ。缶やマッチ箱でも作れ、長い露光で景色の中の人が消えたり、ぼんやりした幽霊のように写ったりする。
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左右の目の位置を少しずらして撮った二枚の写真を専用の眼鏡でのぞくと、景色が立体に浮かんで見える。19世紀の家庭で大流行し、世界中の名所の写真が売られた。
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撮ってすぐにその場で写真が出てくるインスタントカメラ。一枚きりの、複製できない写真の手触りが、芸術家たちにも好まれた。会社が倒産したあと、愛好者たちがフィルムの製造を引き継いだ。
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フィルムにレンズと箱をつけて売った、使い捨てのカメラ。撮り終えたらカメラごと写真屋に出す。デジタル時代のあと、若者のあいだで再び人気になった。
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プラスチックのレンズで作られた安い中判カメラ。光が漏れ、周辺が暗く落ち、ぼける欠点が、かえって夢のような写真を生むとして愛された。
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ソ連製の小さなカメラ「LC-A」をウィーンの学生たちが発見し、「考えずに撮れ」を合言葉に広めた運動。トイカメラの流行を作った。
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ドイツの薬剤師ノイブロンナーが、伝書鳩の胸に小さな自動カメラを取り付けて、空から町を撮影した。写真には鳩の翼の端が写り込んでいる。
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バーモント州の農夫ウィルソン・ベントレーが、顕微鏡とカメラを組み合わせて5000枚以上の雪の結晶を撮った。「同じ形の雪はひとつもない」という言葉を広めた。
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町の写真館で、客の背後に立てられた風景の絵の幕。宮殿、海辺、花園を背にして、人々は一日だけ別の人生を演じた。
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観光地に立つ、人物の絵の顔の部分がくり抜かれた看板。裏から顔を出して写真を撮る。専門の愛好家が全国を撮り歩いている。
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葬儀に飾られ、仏間の鴨居に並ぶ故人の写真。先祖代々の遺影が部屋の上から見下ろす光景は、日本の家の独特の風景になっている。
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二重露光、あらかじめ像を仕込んだ乾板、背後に立たせた白い布の助手。心霊写真の手口は、奇術師たちによって次々に暴かれた。
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