木戸銭を払えば、ふだんは見られないものが見られる。見世物は、珍しい細工、人間離れした芸、遠い国の動物、そして人の身体そのものを見せて、人々の好奇心を商売にしてきました。その多くは差別と搾取の歴史と切り離せませんが、同時に、見る者と見られる者が同じ小屋の暗がりで出会う場所でもありました。江戸の盛り場から西洋のサーカスまで、見世物の系譜を集めました。
見世物にされた人々については、当時の呼び名ではなく、分かる範囲で本人の名前で記しています。興行の年代や規模は、資料によって大きく異なることがあります。
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江戸と明治の見世物
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寺社の境内や広小路などの盛り場に、よしず張りの小屋が並んだ。細工物、軽業、珍しい動物、奇妙な身体の人々が見せられ、口上が客を呼び込んだ。見世物は歌舞伎と並ぶ江戸の大衆娯楽だった。
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火除け地として設けられた広場に、見世物小屋や芝居小屋、屋台が立ち並んだ江戸随一の盛り場。仮設の小屋しか許されなかったことが、かえって見世物を育てた。
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浅草寺の本堂の裏手に広がった盛り場。居合抜き、独楽回し、軽業、生人形などの見世物が集まり、のちの浅草六区へつながった。
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小屋の前で客を呼び込む語り。「親の因果が子に報い」のような決まり文句で好奇心をあおり、中身より口上のほうが面白いといわれることもあった。
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「六尺の大イタチ」と看板を掲げ、入ってみると大きな板に血が付いているだけ、という洒落の見世物。客は怒るより笑って帰り、次の客には中身を黙っていたという。
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「世にも珍しい大べな」などと呼び込み、中には鍋が逆さに置いてあるだけ。「なべ」を逆さに読んで「べな」という駄洒落の見世物。
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竹籠を編む技術で、人物や動物の巨大な像を作った細工見世物。大坂の一田庄七郎の籠細工は江戸でも大評判になり、関羽の巨像などが人を集めた。
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無数の貝殻を貼り合わせて、人物や花や動物の像を作った見世物。遠目には本物のように見える細工の妙が売り物だった。
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菊の花で衣装を作った等身大の人形で、歌舞伎の名場面などを再現した。明治には東京・団子坂の菊人形が名物になり、いまも各地の秋の催しとして残る。
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竹田近江が道頓堀で始めた、からくり人形の芝居。水や砂や糸で人形を動かす仕掛けが評判となり、のちの人形浄瑠璃にも影響を与えた。
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綱渡り、梯子乗り、足芸、玉乗りなど、身体の技を見せる芸。江戸の軽業師たちは幕末から明治にかけて欧米へ渡り、サーカスの舞台で喝采を浴びた。
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幕末の大坂の軽業師。竹竿の上での曲芸で江戸でも大評判をとり、1867年にアメリカへ渡って興行したが、翌年、現地で客死した。
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仰向けに寝て、足の上で桶や梯子、人を回したり乗せたりする芸。日本の軽業の得意芸として、海外でも「リズレー」の名で知られた。
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幕府が海外渡航を許可した直後から、軽業師や手品師の一座が欧米へ渡った。パスポート制度の最初期に旅券を得た日本人の多くは芸人だった。
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独楽を刀の刃の上や扇の縁、糸の上で回す芸。博多独楽などの流派があり、寄席の色物として今も伝わる。
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長い刀を一瞬で抜いて見せ、客を集めてから歯磨き粉や薬を売る大道芸。香具師の商売の典型だった。
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オランダ船が連れてきた二頭のヒトコブラクダが、各地を巡業して大評判になった。見れば疫病除けになると宣伝され、のろのろ歩く姿から「らくだ」は怠け者を指す言葉にもなった。
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将軍徳川吉宗の注文で、ベトナムから長崎に象が運ばれた。象は歩いて江戸へ向かい、途中の京都では天皇に拝謁するため「広南従四位白象」の位を与えられたという。
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女性の力士による相撲の興行。江戸では色物の見世物として、明治以降は各地を巡業する一座として人気を集めた。山形などに一座があった。
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生きた蛇を口にくわえたり、鼻から入れて口から出したりしてみせる見世物。戦後の見世物小屋の定番で、蛇を食いちぎる芸を見せる女性もいた。
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幽霊や妖怪の人形を並べ、暗い通路を歩かせて客を驚かせる見世物。江戸後期の「化物細工」に始まり、遊園地の定番になった。
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見世物や大道芸、香具師の文化を研究する人々の集まり。小屋掛けの興行が消えていくなかで、口上や芸の記録を残そうとしている。
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江戸の見世物について膨大な資料を集め、『見世物研究』(1928年)を著した。見世物を学問の対象にした最初の人とされる。
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祭りや縁日で露店を出したり、見世物や大道芸で客を集めて物を売ったりする人々。独自の仁義や符丁を持ち、テキヤとも呼ばれる。
サーカスの誕生と黄金時代
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元騎兵隊員。1768年、ロンドンで円形の馬場を使った曲馬の興行を始めた。円い舞台に曲芸や道化を加えたこの形が、近代サーカスの始まりとされる。
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「史上最大のショー」をうたった興行師。偽物と分かっていても客が喜べばよいという商売で、博物館と見世物とサーカスを巨大産業にした。
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ブロードウェイにあった見世物博物館。剥製、蝋人形、生きた動物、身体に特徴のある人々を展示し、年に数十万人を集めた。1865年に火事で焼けた。
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バーナムが最初に売り出した見世物。奴隷として買われた高齢の黒人女性を、ジョージ・ワシントンの161歳の乳母だと偽って興行させた。死後には公開解剖まで行われた。バーナムの興行の搾取的な出発点として語られる。
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「スウェーデンのナイチンゲール」と呼ばれたソプラノ歌手。バーナムが招いたアメリカ巡業は大成功し、彼がいかがわしい見世物だけでない興行師であることを示した。
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アメリカ最大のサーカス。専用列車で全米を巡業した。象の曲芸への批判を受けて2017年にいったん幕を下ろし、動物を使わない形で2023年に復活した。
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フランスの曲芸師ジュール・レオタールが、パリのシルク・ナポレオンで初めて演じた。体にぴったり張りつく彼の衣装は、いまも「レオタード」と呼ばれている。
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1859年、ナイアガラの滝の上に張ったロープを渡った綱渡り師。目隠しをしたり、人を背負ったり、途中でオムレツを焼いたりして、何度も渡ってみせた。
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1974年、ニューヨークの世界貿易センターの二つのタワーの間に無許可でワイヤーを張り、45分にわたって綱渡りをした。逮捕されたが、その後すぐに釈放された。
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大砲のような筒から人を撃ち出してネットに受け止めさせる曲芸。実際には火薬ではなく、ばねや圧縮空気で飛ばしている。事故による死者も出ている。
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金網でできた球の中を、数台のオートバイが縦横に走り回る曲芸。英語では Globe of Death と呼ばれる。日本のサーカスでも定番の演目。
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白塗りの顔に赤い頬の化粧をした道化の元祖。彼の愛称「ジョーイ」は、いまも英語で道化師を指す言葉として使われる。
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ピエロはイタリアの即興喜劇から生まれた、白い服の悲しげな道化。クラウンはサーカスの道化全般を指す。日本ではサーカスの道化を広くピエロと呼んできた。
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本物のノミに小さな車を引かせたり、ボールを蹴らせたりして見せる見世物。実際にはノミに細い金の針金をつないでいた。ノミがいない偽物の装置も多かった。
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ライオンや虎を檻の中で操って見せる芸人。鞭と椅子を持って獣と向き合う姿がサーカスの象徴になったが、動物愛護の観点から多くの国で禁止されつつある。
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ケベックの大道芸人たちが始めた、動物を使わないサーカス。曲芸を演劇と音楽で包んだ新しい形で世界的な興行になり、「ヌーヴォー・シルク」の代表となった。
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日本最古級のサーカス団。大テントで全国を巡業し、空中ブランコや象の曲芸を見せてきた。
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「言うことを聞かないとサーカスに売られる」という脅し文句。かつて曲芸団が身寄りのない子どもを引き取って芸を仕込んだことから生まれた。
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アメリカで、乗り物、ゲーム、見世物小屋を連ねて町から町へ移動する遊園地。サイドショーやいかさまゲームの世界で、独自の隠語を持つ流れ者の文化を育てた。
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サーカスやカーニバルの本興行の脇で開かれる見世物小屋。剣呑み、火喰い、刺青の人、身体に特徴のある人々が並んだ。
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カーニバルの見世物で、生きた鶏の首を噛み切ってみせた芸人。落ちぶれた人がやる最低の芸とされた。いまの「ギーク(おたく)」という言葉の語源ともいわれる。
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カーニバルで働く人々が使った隠語。客を「マーク」と呼ぶなど、仲間内でだけ通じる言葉で会話した。
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長い剣を口から喉を通して食道に差し込む芸。トリックはなく、長い訓練で吐き気を抑えて行う。医学の研究で内視鏡の開発に協力した剣呑み芸人もいた。
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火のついた松明を口に入れて消したり、口から火を噴いたりする芸。大道芸やサイドショーの定番。
手妻と奇術
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日本の伝統的な奇術。和妻とも呼ぶ。紙の蝶を扇であおいで飛ばす「蝶のたわむれ」や、刀を呑む術などがあった。
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紙を切って作った蝶を、扇であおいで生きているように舞わせる手妻。柳川一蝶斎が得意とし、海外でも「バタフライ・トリック」として驚かれた。
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扇や刀の先、衣装の袖などから、次々に水を噴き上げてみせる手妻。仕掛けの管を体に仕込んでいる。明治の松旭斎天勝の得意芸だった。
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「蝶のたわむれ」で知られた手妻師。代々その名が継がれ、三代目は幕末に欧米へ渡って公演した。
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明治の奇術師。西洋の奇術を取り入れた大がかりな舞台で人気を集め、「奇術王」と呼ばれた。一座を率いて欧米も巡業した。
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天一の弟子で、大正から昭和初期にかけて絶大な人気を誇った女性奇術師。華やかな衣装と大道具を使った舞台は「天勝一座」として海外でも公演した。
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時計職人から転じた奇術師で、「近代奇術の父」と呼ばれる。燕尾服で演じる洗練された舞台を作り、フランス政府の依頼でアルジェリアの反乱を鎮めるために魔術を見せたことでも知られる。
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手錠、拘束衣、水の入った箱からの脱出で世界的な人気を得た脱出王。晩年は偽の霊媒師たちのトリックを暴く活動に力を注いだ。
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逆さ吊りにされたフーディーニが、水を満たしたガラス張りの箱に沈められ、そこから抜け出す演目。「中国式水責めの房」と名づけられた。
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フーディーニは死の前に、妻と「死後に連絡できたら伝える合言葉」を決めていた。妻は十年にわたって命日に降霊会を開いたが、合言葉は届かず、最後の会で打ち切りを宣言した。
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箱に入った人をのこぎりで二つに切り、元に戻してみせる奇術。イギリスのP・T・セルビットが初めて演じたとされる。
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眠らせた人を空中に浮かせ、周りに輪をくぐらせて見せる奇術。ジョン・ネヴィル・マスケリンらが舞台で完成させた。
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日本の脱出奇術の第一人者。爆破される小屋や燃えさかる箱からの脱出をテレビで生中継した。没後、弟子が二代目を継いだ。
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観客が思い浮かべたものを言い当てる芸。二人一組で符丁を使う方法や、相手の表情や筋肉の動きを読む方法があり、メンタリズムとも呼ばれる。
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計算ができると評判になった馬。蹄を踏み鳴らして答えたが、実は問いかけた人のわずかな表情の変化を読み取っていたことが明らかになった。心理学で「クレバー・ハンス効果」と呼ばれる。
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女性が入った箱に何本もの剣を突き刺し、無傷で出てこさせる奇術。見世物小屋でも演じられた定番の演目。
身体を見せて生きた人々
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重い身体の変形のため「エレファント・マン」の名で見世物にされた。外科医フレデリック・トリーヴスに保護され、ロンドン病院で晩年を過ごした。デヴィッド・リンチの映画で広く知られる。
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胸のあたりでつながって生まれた双子の兄弟。見世物として世界を巡業したのちアメリカで農場主となり、それぞれ結婚して21人の子をもうけた。「シャム双生児」という言葉の由来。
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本名チャールズ・ストラットン。背の低さを売り物にバーナムに見いだされ、ナポレオンなどの扮装で歌い踊った。ヴィクトリア女王の前でも演じ、大金持ちになった。
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顔と体が濃い毛で覆われる体質で、歌と踊りを見せる見世物として巡業した。死後、興行主だった夫が遺体をミイラにして見世物を続けた。遺体は2013年、ようやく故郷のメキシコに埋葬された。
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コイコイ人の女性。「ホッテントット・ヴィーナス」としてロンドンやパリで見世物にされた。死後も遺体はパリの博物館に展示され、2002年にようやく南アフリカへ返還された。
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生まれつき手足がなく、口だけで煙草に火をつけて見せた芸人。映画『フリークス』に出演した。家族を持ち、5人の子を育てた。
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奴隷として生まれた、腰でつながった双子の姉妹。「二つの頭を持つナイチンゲール」として歌で人気を集め、のちに自由の身となって自らの興行収入で故郷の農場を買い取った。
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記録に残る史上もっとも背の高い人で、身長は272センチあった。サーカスとの契約では、普段着のスーツで登場することを条件にし、見世物らしい衣装は拒んだ。
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小頭症のため、見世物で「最後のアステカ人」などと偽って紹介された芸人。映画『フリークス』に出演した。人なつこい人柄で、仲間たちに愛されたと伝わる。
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体重300キロを超えたイギリスの看守。ロンドンで自らの姿を有料で公開し、その上品な人柄も評判になった。死後、彼の名は「巨大なもの」の代名詞になった。
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本名ウィリアム・ヘンリー・ジョンソン。バーナムの博物館で「これは何だ?(What Is It?)」と題して、猿と人の中間の生き物だと偽って見せられた。67年にわたり見世物の舞台に立った。
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医学の発達によって身体の違いが「病気」として説明されるようになり、差別への批判も強まって、身体を見せる見世物は20世紀半ばから急速に廃れた。
見世物の立った場所
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1884年に浅草公園が区画整理されてできた興行街。見世物小屋から始まり、映画館、オペラ、レビュー、ストリップと、時代ごとの娯楽が次々に生まれた。
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植物園として開かれ、明治以降は珍獣や細工物の見世物を置いた。現存する日本最古の遊園地とされる。
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明治時代、東京の団子坂に菊人形の小屋が立ち並び、秋の名物として大勢の人が押しかけた。夏目漱石の『三四郎』にも登場する。
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夏のみたままつりには、長く見世物小屋が掛けられ、蛇女やろくろ首の口上が夜の境内に響いた。近年は小屋が出ない年が続いている。
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毎年11月の酉の市には、熊手の露店とともに見世物小屋が立ち、昔ながらの口上を聞かせてきた。同じ境内では唐十郎の紅テントの公演も行われてきた。
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ブルックリンの海辺の行楽地。20世紀初頭にはルナパーク、ドリームランドなどの遊園地と見世物小屋がひしめき、いまも「コニーアイランド・サイドショー」が続いている。
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コニーアイランドにあった巨大遊園地。100万個の電球で輝き、小人の町や、未熟児を保育器で育てる様子を見せる展示まであった。1911年の火事で焼失した。
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医師マーティン・クーニーが、未熟児を入れた保育器を博覧会や遊園地で公開した。入場料で治療費をまかない、病院が保育器を使わなかった時代に数千人の赤ん坊の命を救ったとされる。
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内国勧業博覧会の跡地に、パリとニューヨークをまねて作られた歓楽街。通天閣とルナパークが開き、見世物と芝居小屋でにぎわった。
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明治政府が産業振興のために開いた博覧会。第五回(1903年・大阪)では、会場外の「学術人類館」で人々を展示する人類館事件が起きた。
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欧米の博覧会では、植民地の人々を「村」ごと連れてきて暮らしを見せる展示が盛んに行われた。のちに「人間動物園」と呼ばれ、植民地主義の象徴として批判されている。
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